坊は身延山妙法華院久遠寺第十二世円教院日意上人(在職 明応8/西暦1500〜永正16/1519)を元祖とし、同第十三世宝聚院日伝上人(在職 永正16/1519〜天文17/1548)を開基としておりますが、日伝上人の院号を以て『宝聚院』と号しております。当坊山門を仰ぎますと、そこに「寶壽閣」と刻まれた扁額(へんがく)がありますが、これはその為であります。
宗祖日蓮大聖人は文永11(1274)年5月に身延に御入山なされ、弘安5(1282)年9月、病気療養の為、常陸国(現・茨城県)へ出立(しゅったつ)する迄の、足かけ九ヶ年を身延山で過ごされました。その間の生活は、鷹取山(たかとりやま)の麓に庵(現・祖廟)を結んでの、質素なものであったそうです。日々の暮らしについては、遺された御消息文に詳しく述べられております。身延御入山の目的については明らかではありませんが、晩年は弟子・信徒の教育・教化に意を注がれ、且つ、多くの著作を遺されました。
伝えられる所に依れば、御両親の眠る房州小湊(現・千葉県天津小湊町)を恋うる心募り、又、御入山の翌年に亡くなられた御師匠様、道善坊への追善の志篤く、折りに触れて身延の峰 ── 現在の奥之院思親閣へと登り、遙か故郷、房州を拝して追善の仏事を営まれたと言います。そして、日蓮大聖人が奥之院への山路へ踏み入る登山口が当坊の建つ地であったのだそうです。それから時を経る事、二百年。その故事を偲んで、身延山第十二世日意上人が庵を結ばれ閑居(かんきょ)。奥之院の麓の坊であるとして『麓坊』と命名され、次の同第十三世日伝上人も当坊にて閑居・入寂されました。因(ちな)みに、日意・日伝両上人は身延山第十一世行学院日朝上人(在職 寛正3/1461〜明応8/西暦1500)と合わせまして、「中興三師」と称されております。
当坊は周囲を山に囲まれた西谷の一角に在って、鷹取山を正面に南への眺望が開けており、谷あいの地としては恵まれた位置に在ります。春は参道と境内の枝垂桜(しだれざくら)と築山(つきやま)の躑躅(つつじ)が咲き誇り、冬は白銀の中に真紅の南天がたわわに実り、実に見事なものです。
堂内には、日伝上人感得の如意輪観音半跏思惟像が祀られておりますが、境内の聖観音立像が参詣の人々に親しまれてきました。又、日蓮宗寺院としては別立勧請(かんじょう)される事の無い愛染明王像の大幅の軸が、小堂に掛けられております。
代数 |
住職名 |
入寂 |
備考 |
当院元祖 |
円教院日意上人 |
永正16年2月3日 |
身延山久遠寺第十二世 |
第二祖開基 |
宝聚院日伝上人 |
天文17年12月11日 |
身延山久遠寺第十三世 |
第三世 |
蓮乗院日見上人 |
不詳 |
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第四世 |
常照院日忍上人 |
慶長13年5月2日 |
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第五世 |
円教院日巧上人 |
不詳 |
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第六世 |
円教院日乗上人 |
不詳 |
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第七世 |
宝聚院日栖上人 |
不詳 |
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第八世 |
宝聚院日近上人 |
不詳 |
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第九世 |
宝聚院日正上人 |
不詳 |
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第十世 |
蓮乗坊日輝上人 |
不詳 |
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第十一世 |
三宝院日宥上人 |
永禄10年1月4日 |
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第十二世 |
蓮乗院日尊上人 |
2月25日 |
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第十三世 |
三宝院日楽上人 |
8月20日 |
竹之坊十三世・南之坊十六世 |
第十四世 |
正法院日盛上人 |
宝永2年7月8日 |
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第十五世 |
宝聚院日教上人 |
不詳 |
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第十六世 |
日諒上人 |
不詳 |
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第十七世 |
智運坊日満上人 |
6月28日 |
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第十八世 |
日慈上人 |
不詳 |
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第十九世 |
仙応院日崇上人 |
7月26日 |
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第二十世 |
智応院日観上人 |
寛文11年7月8日 |
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第二十一世 |
顕了院日盛上人 |
享保2年2月29日 |
身延山久遠寺一老職・志摩坊十一世 |
第二十二世 |
了玄院日清上人 |
元禄10年1月15日 |
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第二十三世 |
本寿院日栄大徳 |
宝永6年12月7日 |
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第二十四世 |
正覚院日明上人 |
延享4年4月4日 |
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第二十五世 |
融妙院日充上人 |
宝暦6年11月17日 |
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第二十六世 |
円解院日盛上人 |
天明2年11月26日 |
身延山久遠寺一老職 |
第二十七世 |
玄政院日見上人 |
不詳 |
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第二十八世 |
玄長院日真上人 |
寛政9年3月29日 |
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第二十九世 |
玄要院日長上人 |
文化2年11月9日 |
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第三十世 |
本觧院日到上人 |
文政12年3月1日 |
身延山久遠寺一老職 |
第三十一世 |
潮觧院日明上人 |
嘉永3年10月13日 |
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第三十二世 |
潮諦院日觧上人 |
天保3年10月27日 |
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第三十三世 |
憲明院日遊上人 |
不詳 |
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第三十四世 |
全中院日慧上人 |
文久4年5月5日 |
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第三十五世 |
鑑乗院日逢上人 |
安政2年9月5日 |
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第三十六世 |
顕正院日光上人 |
明治4年7月17日 |
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第三十七世 |
顕院日修上人 |
不詳 |
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第三十八世 |
妙賢院日禎上人 |
明治23年10月20日 |
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第三十九世 |
顕隆院日勢上人 |
明治15年4月21日 |
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第四十世 |
文照院日厚上人 |
大正11年8月20日 |
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第四十一世 |
妙真院日誠上人 |
明治36年 |
積善坊二十八世・花之坊二十九世・武井坊三十世 |
第四十二世 |
真浄院日徳上人 |
昭和32年2月24日 |
身延山久遠寺一老職・七面山別当 |
第四十三世 |
順弘院日照上人 |
昭和15年6月8日 |
花之坊三十六世 |
第四十四世 |
内野光徳 |
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代務(昭和32年2月〜昭和36年5月) 清水坊三十八世 |
第四十五世 |
丸山照雄 |
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昭和47年3月退任 |
第四十六世 |
則武海園 |
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代務(〜平成11年7月) 富士市妙蓮寺二十五世 |
第四十七世 |
智教院日輝(望月浄教) |
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当代(平成11年8月〜) |
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