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意の時限爆弾──北アルプス涸沢岳人事件 (平成21年7月7日発表)

序章 奇な滑落者

槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘
槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘 (平成19年10月10日 著者撮影)
 俺の名は漢波羅響資(かんばら-きょうすけ)。宇多(うだ)天皇の血を引く旧華族・漢波羅家の三男坊。漢波羅家は鎌倉時代以来、大納言(だいなごん)を輩出してきた公家(くげ)で、明治維新後も伯爵(はくしゃく)だったが、昭和22年、日本国憲法の施行で華族制度が廃止。今ではごくごく普通の家・・・と言いたい所だが、あいにくとまだまだ華族だった頃の名残(なごり)がある。

 二人の兄は出来も良く、同じ旧華族の令嬢と結婚し子宝にも恵まれている。それに比べて俺はと言うと、36才にもなって未だ独身。おまけに定職にも就かずフリーランスな仕事をしている。まあ、生まれ育った実家に、両親、兄夫婦と同居 ── 所謂(いわゆる)、今流行(はや)りの「パラサイトシングル」だから、食うにはちっとも困っていないし、二人の兄と違い、俺は勝手気儘(きまま)な今の生活が性(しょう)に合っている。

 大学は一応、某名門校へと進学したが、在学中、兄達に初めて連れて行かれた北アルプス燕岳(つばくろだけ)がきっかけで、すっかり登山に填(はま)ってしまった。お陰で勉強そっちのけで、あちらこちらの山へと登った俺は、単位もギリギリ。辛うじて卒業出来た口だ。だから、兄達は未(いま)だに俺を山へ誘った事を後悔している。もっとも、俺にしてみれば、三度の飯より好きな山の楽しさを教えてくれた兄達に感謝しているし、たとえ兄達に誘われなかったとしても、他の誰かが俺を山へと誘った事だろう。結果は同じ。遅かれ早かれ、登山に填ったであろう事は確かだ。そんな俺だが、最近では単なる山登りでは飽きたらず、以前、槍ヶ岳(やりがたけ)から穂高連峰を縦走した際、泊まった北穂高小屋のバイトに応募してしまった。

 四月末、小屋のオープンと共に標高3000メートルの稜線で小屋仲間達と衣食住を共にする新生活が始まった俺も、登山シーズンも終盤の十月ともなれば、流石(さすが)にいっぱしの山男になっていた。そんな十月のある日、あの事件は起きた。

 10月11日、日曜日、午後3時20分── 。

 槍ヶ岳山荘を発(た)ち、大キレット、北穂高岳、涸沢岳(からさわだけ)を越えて来た一人の登山者が、顔面蒼白、息も絶え絶えに白出(しらだし)のコルに建つ穂高岳山荘へと駆け込んで来た。

涸沢岳と穂高岳山荘
涸沢岳と穂高岳山荘 (平成20年9月8日 著者撮影)
「ハア、ハア・・・」
「どうされました? 大丈夫ですか?」
「すみません・・・ひ、人が・・・」
「人が何なんですか?」
「人が・・・滑落(かつらく)しているんです・・・」
「滑落者? どの辺りですか?」
「丁度、涸沢岳の頂上で休憩してた時、飛騨(ひだ)側の斜面に目をやったら人が血を流して倒れていたんです」

 早速、 穂高連峰の飛騨側を管轄する岐阜県警奥飛騨署へと連絡。日没も近い午後4時30分、死亡が確認された滑落者は救難ヘリに任せ、現場検証をしていた捜査員達は今夜の宿となる穂高岳山荘へと引き上げた。

 10月上旬、涸沢カールには紅葉を目当てに全国各地から登山者が集まる。真っ赤に色づくナナカマドと、前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳の大岸壁が織りなす眺望は苦労して登ってくるだけの価値が充分にあり、涸沢に二軒ある小屋は常に満杯だ。窮屈な小屋泊を敬遠する登山者はテントを設営するのだが、こちらも「テント村」と呼ばれる通り、所狭(せま)しと色鮮やかなテントで埋め尽くされる。だから、この時期、涸沢の混雑を避けて稜線上の山小屋に宿を求める登山者も必然的に増える。10月11日、穂高岳山荘も満員御礼だった。

 夕食の支度(したく)がととのい、食堂へと集まった登山客を前に、一人の中年男が大声を張り上げた。

「皆さん、すみません。食事の前に暫(しば)しお時間を下さい。私は岐阜県警奥飛騨署の仁科照彦(にしな-てるひこ)と申します。今日の午後、涸沢岳の斜面に滑落していた男性が発見され、我々が現場に向かったのですが、残念ながら既に死亡していました。男性の所持品から身元を示す物が見つかり、氏名は藍沢俊英(あいざわ-としひで)さんと判明しましたが、皆さんの中に藍沢さんをご存じの方はおられませんか? どのような事でも結構ですので、何かご存じの方がおられましたら、我々にお知らせ下さい」

 食事前のざわめきとは又違うざわめきが起き、一人の登山客が誰もが気になる質問を仁科に投げかけた。

「あのー、その方は事故で亡くなられたんですか? それとも、誰かに殺されたんですか?」
「現時点では何とも言えませんが、場所が場所ですから、足を滑(すべ)らせての事故では無いかと思います。とは言え、警察としては一通りの調査をしませんと断定出来ませんので、皆さんの中に何かご存じの方がおられればと思ったまでの事です」

 仁科の言葉に登山客は犯罪性が無いものと判断し、何事もなかったかのように食事を始めた。

北穂高小屋
北穂高小屋 (平成19年10月11日 著者撮影)
 10月12日、月曜日、午前11時50分── 。

 穂高岳山荘をあとにした仁科は、二人の若手刑事を伴って涸沢岳を越え、北穂高小屋へと辿(たど)り着いた。

 前夜、長野県警西松本署に連絡を取り、上高地(かみこうち)インフォメーションセンターに出されていた登山届を調べてもらった所、10月9日の日付で藍沢の名前が見つかったのだ。その登山計画によると、藍沢は10月9日、登山届を提出後、明神(みょうじん)、徳沢(とくさわ)、横尾(よこお)を経て涸沢小屋に宿泊。10日は涸沢から北穂南陵(なんりょう)を登り、北穂高小屋へと宿泊。11日、つまり藍沢が滑落遺体で発見された当日は穂高岳山荘へと宿泊し、12日に涸沢経由、元来たルートを通って上高地へと下山する予定だった。それを受けて、西松本署が涸沢小屋と北穂高小屋に照会。藍沢が宿泊していた事が確認されたのだ。

「登山届通りに行動していた所(とこ)を見ると、こりゃ、単なる滑落事故だな」

 仁科は同行している二人の若手刑事にボソッと独り言を言った。

 北穂高小屋に着いた仁科達を小屋の主人、小山義紀(よしのり)が出迎えた。

「奥飛騨署の仁科です。昨日、涸沢岳沢で発見された滑落遺体(オロクさん)の件で、お話を伺(うかが)いに参りました」
「お疲れ様です。お話は電話であらかた伺いました。私共でお役に立つ事があれば良いのですが・・・それはそうと、もうすぐ昼ですし、話はうちの名物、味噌ラーメンでも食べながらと言う事でいかがですか?」
「それはありがたい。丁度腹が減っていた所(とこ)ですし、標高3000メートルで食べるラーメンは格別ですからね。こいつらも喜びます」

 初めて涸沢岳の険路越えを体験した若手の刑事二人組は北穂高小屋へ着くなり緊張の糸が切れ、すっかり目に生気(せいき)が無くなっていたが、名物ラーメンの一言で一気に息を吹き返した。

「滑落した藍沢さんは一昨日(おととい)、こちらに宿泊なさったそうですが、どんな様子でしたか?」
「その日は満室とまではいきませんでしたが、涸沢の混雑を避けて登ってきた人がかなりいましたからね。その方の名前だけ言われましても何とも・・・ただ、宿泊客の顔はある程度覚えていますから、写真か何かを見れば思い出すかも知れませんが・・・」

 小山の言葉を待っていたかのように、仁科はポケットからデジカメを取り出した。

「これは昨日、現場で撮影した藍沢さんの写真です。プリンタが無いので、デジカメの小さな液晶画面でしか見る事が出来ませんが・・・いかがですか?」
「さあ・・・見覚えの無い顔ですね・・・あ、丁度いいや。漢波羅君も見てくれないかな?」
「はい、何ですか?」

 小山と仁科達のやりとりを一部始終目にしていた俺ではあったが、さも何も知らないと言ったそぶりで答えた。元々、人一倍好奇心旺盛な俺にしてみれば、本当は「待っていました」と言った所なのだが。

「昨日、涸沢岳沢で見つかった滑落遺体(オロクさん)の写真なんだが、一昨日(おととい)、うちへ泊まっていったらしいんだ。でも、あいにくと写真を見ても、この人の事を全然思い出せなくてね。ひょっとしたら、漢波羅君なら何か憶(おぼ)えているかなと思って」

 俺は小山から渡されたデジカメの液晶画面を食(く)い入(い)るようにじっくりと見た。滑落の際に出来た裂傷や打撲痕を差し引いても、顔の損傷は比較的軽微だ。それにも関(かか)わらず、正直全く思い出せない顔である。

「俺の勝手な憶測かも知れませんが、この人、ここへは泊まっていないんじゃないかな?」

 一同、顔を見合わた後(のち)、仁科が口を開いた。

「登山届にここへの宿泊予定が書かれていたし、小山さんにも確認してもらったけど、実際に宿帳(やどちょう)の中にも藍沢さんの名前があったんだよ? 単に憶えていなかっただけなんじゃないの?」
「刑事さん、俺は昔から一度見た顔は忘れない方だし、写真の男性は男の俺から見てもハンサムで特徴的です。もし、泊まっていたなら、ましてや一昨日の客だったら、憶えていない筈無いですよ」
「確かに漢波羅君は人の顔を覚えるのは天才的だからなあ。バイト初日に初めて顔を合わせた全員の顔と名前を即座に覚えたし・・・仁科さん、漢波羅君が見覚えが無いって言う以上、ひょっとしたら、ここへは泊まらなかったのかも知れませんよ」

 小山がすかさず助け船を出してくれた。しかし、仁科は尚も納得がいかないようだ。

「でもねぇ・・・藍沢さんの死因は後頭部を強打した事による脳挫傷なんだけど、血痕を含め稜線上で誰かに石で後ろから頭を殴られたり、争ったり襲われたりした痕跡は無いし、第一、現場は大キレットに次ぐ穂高縦走の険路だからね。普通に考えれば、足を滑らせた単なる滑落事故と言うのが妥当な所だと思うんだけどねぇ」

 仁科は藍沢の死を滑落事故として全く疑っていない。登山届と宿泊。この確認さえ取れれば、あとは型通りの捜査をして早々と打ち切りたい、そう言った印象だ。まあ、事件は次から次へと舞い込んでくる。警察が今回の件だけに専念していられない事は俺にも分かるのだが・・・

 その日、仁科達3人の刑事は北穂高小屋へと泊まり、翌日下山。仁科の報告を受けた奥飛騨署では事件性に乏しいとして藍沢の死は滑落事故として処理してしまった。とは言え、俺はどうしても納得がいかない。一度目にした顔は忘れない俺がコケにされたと言う思いもあるが、それ以上に、藍沢の死に対する不審感が益々募ってくる。元々、好奇心旺盛な俺にしてみれば、一度気になり出すと自分自身が納得するまで調べずにはいられない。思い余(あま)った俺は、消灯前の小山を訪ねた。

「あのー、小山さん、今ちょっといいですか?」
「漢波羅君、どうしたんだい?」
「小山さん、もうすぐ小屋仕舞(じま)いって言うこの時期にこんな事を申し出るのは大変恐縮なんですが、バイトを上がらせて頂けませんか?」
「何かあったのかい? ひょっとしてご家族の誰かが入院されたとか?」
「いえ、そう言うんじゃないんです。実は例の滑落事故の件で・・・」
「ン?」
「仁科さんら警察は藍沢さんの死を滑落事故死として処理しましたが、俺にはどうにも引っかかるんです。宿泊してた筈なのに写真を見ても、全く顔を思い出せない」
「確かに一度目にした顔は絶対に忘れない君が、見覚えが無いって言うんだからなぁ。そこは僕も引っかかってはいたんだよ」
「小山さん、俺は藍沢さんの死は事故なんかじゃ無いような気がするんです」
「ン?」
「ハッキリとこうだ!とは言えないんですが、藍沢さんは殺されたんじゃないかって思うんです」
「・・・」
「登山届をきちんと出して、予定通りに小屋へ宿泊している。でも、もしも泊まった人間が藍沢さん本人で無かったとしたら?」
「!」
「藍沢さんじゃ無い別人が、藍沢さんの名前で宿泊したとすれば、写真を見せられても見覚えが無くて当然です。でも、そうだとすると、何故わざわざ他人の名前で宿泊したのか? 何か後ろめたい事でもなければ、普通そんな事をする必要はありません。だから、犯罪の可能性があるんですよ」
「でも、漢波羅君。まさか、君は警察が事故死として処理した件を独自に調べようって言うんじゃないだろうね?」
「はい、そのつもりです」
「漢波羅君、確かに不自然な点はあるよ。でも、一度、警察が出した結論を覆すのは容易な事じゃない。ましてや、犯罪性がある事なら尚更(なおさら)だ。藍沢さんを殺した人間がいるとすれば、この件に関わる事で君にだって危害が及ばないとも限らないんだよ」
「それは分かってます。でも、生来の好奇心がそれを許さないんです。それに、僕は部屋住みの三男坊で、女房子供もいませんから。なぁに、大丈夫です。自分の身に危険が及びそうになったら、その時は撤退しますから」
「本当にそうしてくれよ。仮にも君は漢波羅家の御曹司(おんぞうし)なんだし、ここのバイトに雇うのだって、最初は躊躇(ためら)ったくらいなんだから」

 俺の熱意と一度こうだと決めたら曲げない性分(しょうぶん)に根(こん)負けしたのか、小山は渋々とながらも事件の「捜査」を認めてくれた。

 10月14日、水曜日、午前7時── 。

 こうして俺は、主人の小山と仲間達に別れを告げ、一足早く北穂高小屋をあとにしたのだった。

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