 |
諏訪神社 拝殿 |
社記によると、諏訪明神社は上下両社があり、平安時代後期、嘉保二乙亥年(西暦1095年)に甲斐源氏の祖、源新羅三郎義光公が信州諏訪大明神を勧請したと伝えられ、戦前は郷社として近隣の尊崇を集めておりました。
嘗て、上諏訪社は7月28日、29日の両日に祭礼を行い、29日には浜下祭を行ったと社記及び『甲斐国志』にありますが、現在は4月に行われております。又、穴山氏が当地を領していた時代には、騎馬武者二十騎を神輿の警固として家中より派遣した上、東西河内領(富士川の左右両岸地域、現在の山梨県南巨摩・西八代両郡)の神主を集めて祭りを行ったと伝えられております。
 |
摂社 山神社 |
一方、下諏訪社は、正月初酉の日を祭日とし、湯の花の行事と神事を行っていたと社記にあります。同記によると、鎌倉時代末期の正中二乙丑年(西暦1325年)、南部家第十代茂時公によって再建された棟札があると記されており、『甲斐国志』にも「御神体に墨記す」との記述がありますが、現在は共に不明です。
その後、南北朝時代の嘉吉三癸亥年(西暦1443年)7月28日、南部元時が再建した諏訪神社の騎獅座像と獅子面は、時代考証を得られておりませんが、極めて珍しい彫り物で、南部町の文化財に指定されております。
※写真をクリックすると大きな写真をご覧になれます。