内船八幡神社
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余白八幡神社神紋(左三つ巴紋)御由緒

内船八幡神社 鳥居
内船八幡神社 鳥居
内船八幡神社(右)と南部町護国神社
内船八幡神社(右)と南部町護国神社
御神木の銀杏と楠
御神木の銀杏と楠
 『甲斐国志[かいこくし]』・『甲斐国社寺記[かいのくにしゃじき]』に記録された神社で、平安時代末期、裏山の大段[おおだん]山頂に創建されました。その社殿は京都石清水八幡宮[いわしみずはちまんぐう]と同じ形式で、中殿には誉田別命[ほむだわけのみこと]人皇[にんのう]第15代応神[おうじん]天皇)を奉斎[ほうさい]し、相殿には神功[じんぐう]皇后と比売大神[ひめのおおかみ]を奉斎していたと記録されております。

 石清水八幡宮の御霊代[みたましろ]御分霊[ごぶんれい]は京都から遷座され、御鳳輦[ごほうれん]神輿[みこし])一基に警固[けいご]の騎馬数十を以て、駿河国岩淵[するがのくにいわぶち](現在の静岡県富士市岩淵)より村中総出で松明[たいまつ]を掲げて迎え、笛・太鼓のもと、大段山頂に遷座したとの伝承があり、大段山頂には社殿の礎石と[おぼ]しき石があり、井戸もあったと言います。

 南北朝時代に大段山頂より現在地に遷座され、社殿も幾度と無く造営されましたが、江戸開幕の年、慶長8年(1603年)の火災により、社殿・古文書[こもんじょ]宝物[ほうもつ]等を[ことごと]く焼失してしまいました。

 その後、江戸時代の寛文[かんぶん]10年(1670年)に再建され、文政6年(1823年)にも造営の記録が残っております。

※写真をクリックすると大きな写真をご覧になれます。

  内船八幡神社 山梨県南巨摩郡南部町内船3935番地 TEL 0556-64-3593
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