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内船八幡神社 社殿 |
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内船八幡神社 拝殿(外観) |
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内船八幡神社 拝殿(内部) |
現在の本殿は、文政6年(1823年)9月に『匠家雛形初心伝』を著した下山宿[(山梨県身延町[下山)の宮工匠、石川七郎左衛門重甫[により、一間社流造[で全て欅[材で造営されたものであります。
本殿の側面及び背面は一枚板の欅で張られ、簡素な中にも全体の調和が保たれた向拝の蟇股[、皎龍[、獅子鼻[、木鼻[、向拝の頭貫上に龍の宝珠を捧げた彫刻、手鋏[には三階松と鳩、懸魚[は雲紋の重ね彫り等、彫刻の鋭さは見事の一語に尽きます。又、大棟と鬼板の彫刻金塗りの菊の御紋[は当時としては珍しく、由来及び神格を示すものとして貴重なもので、昭和56年(1981年)に行われた文化庁の調査により近世重要建築物且つ貴重な江戸期建築形態の遺構として認定されております。
又、拝殿・幣殿[・社務所等は、昭和60年(1985年)に氏子崇敬者[の浄財等により造営されたものであります。
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御神木 |
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御神木(銀杏) |
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御神木(楠) |
昔から御神木は勧請木[又は神依木[と言われ、神様の籠[もる依代[、神様の御降臨する所とされております。
鳥居を潜[った参道石段の両側には、樹齢六百数十年と言われる銀杏[と楠[が大きく枝を張り出しております。特別な老樹・巨樹は御神木として尊[び、神社の霊木として扱われており、先祖が植え育ててきたこの両樹は県内有数の巨大な御神木として、神域の尊厳と古い由緒・歴史を今に伝えております。
銀杏は雄木で根回り11メートル、目通り幹囲6.4メートル、枝張りは東西南北共に21メートル、樹高は33メートルで、地上5メートル付近から太い枝を伸ばし、この付近から乳柱(気根)が3本垂れ下がっております。
一方、楠は根回り10メートル、目通り幹囲5.27メートル、枝張りは東西25メートル、南北21メートル、樹高は34メートルで、銀杏とほぼ同じです。
本樹は昭和47年(1972年)5月10日の南部町天然記念物指定当時の目通り幹囲は4.75メートルでありましたが、24年後の平成8年(1996年)、『南部町誌』編纂[時の測定では、5.27メートルとなって、52センチメートル太くなっております。
県内では身延町大野の大野山本遠寺[境内の楠に次ぐ巨樹で、銀杏と共に樹勢は極めて旺盛であります。
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境内社 南部町護国神社 |
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南部町護国神社 拝殿(外観) |
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南部町護国神社 拝殿(内部) |
大正13年(1924年)に境内西側に当時の西八代[郡栄村が、西南の役(西南戦争)以降の事変・戦役[に於いて散華[なされた英霊を祀[る目的で「招魂社[」を創建致しました。以来、栄村と南巨摩[郡睦合[村合併による南部町誕生後も町として慰霊行事が行われてきましたが、昭和40年(1965年)、睦合地区の合祀[遷座祭が行われ、303柱の英霊が奉斎[されました。
平成2年(1990年)には招魂社改め「護国神社」と改称し、12月に新たな社殿が完成しました。
平成15年(2003年)、南部・富沢両町が合併し新たな南部町が誕生すると、翌平成16年(2004年)には富沢地区の64柱の英霊を合祀し、合わせて367柱の英霊が奉[られております。
南部町奉賛会は平成3年(1991年)9月に設立され、町・各種団体・各区長をはじめ全町民が会員となっており、9月23日に例大祭を行っております。
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護国神社併設 資料室 |
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軍帽・軍服・戦闘用双眼鏡・雑嚢[・水筒・軍靴[等、日清・日露戦争のものをはじめ、軍神とうたわれた旧栄村出身の若林東一中隊長(陸軍大尉 功四級金鵄[勲章・勲五等双光旭日章 1912-1943)に関するものや、出征者の貴重な遺品が展示されております。
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