内船八幡神社
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余白八幡神社神紋(左三つ巴紋)御祭神

 応神天皇 (おうじんてんのう)

応神天皇  第15代の天皇(伝承在位 270〜310)。御父は第14代仲哀[ちゅうあい]天皇、御母は神功[じんぐう]皇后。[いみな]誉田別尊[ほむだわけのみこと][ある]いは大鞆和気命[おおともわけのみこと]と申し、国風諡号[しごう](贈り名)を誉田天皇[ほむだのすめらみこと]、漢風諡号を応神天皇と申します。又、御母の神功皇后の胎内にあった時から皇位に[]く宿命にあられた事から、胎中天皇[みはらのうちにましまししすめらみこと]とも呼ばれました。御子は墓域面積が世界最大とされる大阪府堺市の大仙陵[だいせんりょう]古墳の[あるじ]として名高い第16代仁徳[にんとく]天皇で、自身もそれに次ぐ規模の巨大前方後円墳に葬られたと見られる事から、強力な大和[やまと]朝廷の大王として君臨したと考えられています。後に、比売大神・神功皇后と共に、八幡三神[はちまんさんしん]として[まつ]られるようになり、武門の棟梁[とうりょう]の清和源氏をはじめ、全国の武士より武神として広く崇敬[すうけい]を集める事となりました。

 神功皇后 (じんぐうこうごう)

 第14代仲哀天皇(伝承在位 192〜200)の皇后にして、第15代応神天皇の御母。御名は気長足姫尊[おきながたらしひめのみこと]息長帯比売命[おきながたらしひめのみこと]大帯比売命[おおたらしひめのみこと]熊襲[くまそ]討伐の為、筑紫[ちくし](九州)に出陣した折、神懸[かみが]かった皇后の神託を信じなかった夫帝、仲哀天皇が神の怒りに触れて急に崩御[ほうぎょ]すると、棟梁之臣[むねはりのまえつきみ](大臣)の武内宿禰[たけのうちのすくね]の補佐を得て自ら摂政[せっしょう]として政務を[]り、三韓征伐(朝鮮出兵)により新羅[しらぎ]百済[くだら]高句麗[こうくり]を服従させたと伝承されています。その為、大正15年(1926年)以前は推古天皇に先立つ女帝(伝承在位 201〜269)として歴代に数えられ(応神天皇以下歴代が一代ずつずれていました)、「奇神御気長足媛天皇[くしひかみおきながたらしひめのすめらみこと]」、或いは「神功天皇」等と呼ばれていました。

 比売大神 (ひめのおおかみ)

 応神天皇・神功皇后と共に八幡三神に数えられる女神です。主祭神の応神天皇、その御母で伴神の神功皇后が固有名詞であるのに対し、比売大神(姫大神)だけが普通名詞であるのは、この女神が特定の神を表しているのでは無く、主祭神の妻や娘、或いは関係深い女神を指しているからだと言われています。又、皇祖神(皇室の祖先神)の天照大神[あまてらすおおみかみ]とその弟神である素戔鳴尊[すさのおのみこと]誓約[うけひ]により誕生した多岐津姫命[たぎつひめのみこと]市杵嶋姫命[いちきしまひめのみこと]多紀理姫命[たぎりひめのみこと]の三柱の女神、宗像[むなかた]三神を指す共言われています。

  内船八幡神社 山梨県南巨摩郡南部町内船3935番地 TEL 0556-64-3593
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