▲ 日朝大上人御尊像 (日朝堂内奉安) 行学院覚林房は、今から凡(およ)そ550年前、身延山中興の祖にして久遠寺(くおんじ)第11世の法主(ほっす)、行学院日朝大上人(在位 1462-1499)により開かれた塔頭(たっちゅう)寺院です。 当時、身延山久遠寺は現在地には無く、現在の西谷祖廟の地にありました。日増しに増える参拝者に対して、余りに狭く不便だった為、久遠寺の移転を考えた方がおりました。それが日朝大上人です。日朝大上人は、この大事業を、宗祖日蓮大聖人の第200遠忌(おんき)事業として計画され、数ヶ年の歳月を掛けて見事成就なされました。 (各写真をクリックすると、大きな写真をご覧頂けます)
▲ 日朝大上人御廟 (当院境内) 日朝大上人が僅(わず)か41才で久遠寺の法主に就(つ)かれてからの業績は、この事のみに留まらず、宗門(しゅうもん)の統一、学僧教育の確立、身延山の整備拡張、500巻に及ぶ著述、そして、生涯を掛けた関東一円の新寺建立40余ヶ寺等々、正に数え上げればきりがありません。爾来(じらい)、日蓮宗では、日朝大上人を「宗門中興の祖」と仰ぎ、その業績を讃(たた)えて参りました。 ▲ 日朝堂 (旧 朝師堂)
▲ 徳川将軍家寄進天井彫り (日朝堂内) ところで、世に「止暇断眠(しかだんみん)」と言う言葉がありますが、日朝大上人は、正に寝る間も惜しんで宗門興隆に心血を注がれました。然(しか)し、61歳の時、遂に無理が祟り、両眼を失明されてしまいました。 ▲ 瑞門 (扁額:本阿弥光悦筆) 然し、日朝大上人は、その厚い信仰の力でこれを克服され、67歳の3月に「眼病消滅本尊」をお書きになられ、後世、法華経(ほけきょう)を信仰する人が眼病で苦しんでいたら、守護して平癒させると言う願(がん)を立てられました。爾来、「目の神様」、「学業の神様」として多くの人々より親しまれ、今日に至っております。
然し、日朝大上人は、その厚い信仰の力でこれを克服され、67歳の3月に「眼病消滅本尊」をお書きになられ、後世、法華経(ほけきょう)を信仰する人が眼病で苦しんでいたら、守護して平癒させると言う願(がん)を立てられました。爾来、「目の神様」、「学業の神様」として多くの人々より親しまれ、今日に至っております。
▲ 夢窓国師作庭園 (元禄15年完成) 皆様も一心に「南無妙法蓮華経」の御題目を唱え、日朝大上人に不惜身命(ふしゃくしんみょう)を誓って、おすがりすれば、必ずや心願成就し、肉眼のみならず「心眼」 ── 「心の目」も開け、日々の生活が清らかとなり、心も豊かになる事でしょう。 ▲ 心地池 (夢窓国師作庭園)
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